齋藤研吾さんからの手紙
親子の日 Press 2021年2月27日

「東日本大震災から学んだこと」という企画のトークイベントに出演いただけないかと思い、いつも「親子の日」の活動を気にかけてくださっている斎藤さんに連絡をしました。
あいにく他の用事と重なっているということで出演が叶いませんでしたが、メールをいただいたのでみなさにご紹介させていただきます。

—斎藤さんからの手紙—

私達家族(当時は夫婦二人)は、2010年の9月に東京から気仙沼に引っ越しをしました。
気仙沼で、魚屋を営んでいた祖母の店で、魚の勉強をしたいと言う、私の身勝手な考えからでした。
そんな先のあてもない突拍子な思いに、妻は悩みながらも、住み慣れた東京を離れて、私について来てくれました。
私は魚屋の手伝いと並行して、時給550円の加工場の仕事をし、妻はコンビニでアルバイト。
僅かな貯金もどんどん減って行きましたが、なかなか見えない希望だけを胸に日々の生活を送っていました。
そんな中、5年も子宝に恵まれず半ば諦めかけていた私に、妊娠の報告をしてくれた妻。
喜びと共に、頑張らなければと強く決意しました。
そして幸せも束の間、あの東日本大震災が起こりました。
その時は、妻も私も自宅に居ました。
経験したことのない、ものすごい揺れの中、無我夢中で食器棚をおさえていました。
地震が収まって束の間、部屋の窓からは聞いた事の無い地鳴りと共に、迫り来る大きな煙が見えました。
これはただ事ではないと、車に乗り込み近くの小高い丘に登りました。
波に呑み込まれていく街の様子を只々見守るしかありませんでした。

津波の後は、火災です。
自宅に火が回るのが心配で、夜も眠れず車の中から燃え広がる炎をみていました。
その後、自宅の無事は確認できましたが、電気もなく水道も通らない生活を一週間夫婦で過ごしていた時。
東京から妻の兄が車で救出に来てくれました。
夫婦共に、東京の妻の実家で一週間ほど過ごした頃、私の脳裏に気仙沼で過ごす祖母や街の人々の事がどうしても拭えませんでした。
気仙沼に戻ってみんなの助けになりたいという思い、妻を東京に残し、一人気仙沼にもどる事になりました。
その時に出会った友人と、赤ちゃんの支援を行うNPO法人ピースジャムを立ち上げました。
オムツやミルクなどを無償で支援する活動をし、現在は子供を連れて働ける職場作り、地域コミュニティ拠点の形成などの活動を行なっています。
(東京に戻ってからは、私はあまり関われていません)
そして、2011年の8月に待望の第一子が誕生しました。
東京ー気仙沼間の距離もあるので数ヶ月に一度しか家族には会えませんでしたが、その分一緒に過ごした時間はかけがいのない濃密な時間でした。
祖母の店は被災し、私もNPOでの活動一本になっていたので、元々の目的であった魚の勉強どころでは無くなっていました。
そして、多くの支援の力もあり、我々の活動拠点が完成して、今後の道筋が立った頃。
故郷を離れ寂しい思いをさせたり貧乏をさせてしまった妻に、人並みの生活をさせてあげたい。
子供達にもやりたい事をさせてあげたい等、自分の家族の在り方を考えるようになりました。
色々と考えた結果、2015年に東京に戻る事にしました。
その後は、第二子も生まれ、中古ではありますが、自宅を購入する事もでき、幸せな生活を送っています。

震災によって、家族を失った人々の気持ちを想像すると、いたたまれません。

それほど、家族という絆は強いのだと思います。

オズボーン夫妻の行なっている活動は、絆や愛の根本の部分に焦点を当てられているのだと思います。
その愛の根本が、友人、隣人、人類、動物、自然、世界へと広がるのだと思います。
現在、コロナや、環境問題、戦争など人類は試されている時だと思います。

どうか、お体にはお気をつけて、活動を続けていただければと思います。

今回は、改めて気づきを与えていただける機会をありがとうございました。
齋藤研吾/良食ばっぱ

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