寒さはまだまだ続きそうですので、ほっこり心温まるエッセイを読
(2017年「親子の日エッセイコンテスト」でオーティコン賞受賞作品)
ドラマのあるシーンが好きだ。
朝、出勤で家を出る。少し歩き振り返ると、ベランダから手を振る妻の見送り。優しく背中を押してくれる、じんわり暖かくなるシーンだ。
嫁さんは寝起きの悪さも相まって出てこない。ある日、このシーンが大好きだ!とダイレクトなアピールをし、翌朝口元をほころばせて振り返った。妻はいなかった。
あれはドラマの演出だ。過剰演出だ、クレームものだ。くすぶる気持ちの消火に努める。
私のオカンは昔から心配性で、小さい頃はよく見送りに出てきた。思春期の頃はそれがうざったく思え「出てこんでええよ!」などと声を荒げたり無視したり、ひどい扱いをした。それを今度は他人に求めるのだから、全く現金なやつだと我ながら呆れた。
そんな日々に思わぬ転機が訪れた。子供を授かって1年半。植物に話しかけるほど丁寧に朝を過ごすタイプの私だったが、子育て世代の朝は忙しい。洗濯干して洗い物、「おあよっ!」起きてきた息子に高い高い3ストローク。そうだ火曜はゴミの日、まとめなくちゃ、三角コーナーも忘れずに。振り返るのも忘れるほどバタバタと用意をする。
ゴミ袋を手にドアノブをひねる。ねえ!背中に声が飛び、少し苛立ちが混じった顔で振り返る。
「バーバイッ」
子供が玄関で手を振っていた。大変潤んだ瞳でムチムチの腕を何度も振っていた。ぼくも外であそびたいのに…絵本読んでけよ…様々な要素が入れ子状になっているのを無視し、ただ父との別れを惜しむ無垢な少年の顔と理解した。
「有給」頭に浮かんだグッドアイデアをかき消しながら、一路会社へ足を向けた。
歩きながら、オカンの偉大さがじわじわと分かってきた。見送るのは、ただ心配なだけでなく、忙しい日常の中で互いに向き合える僅かな時間の確保でもあるのだ。
共働きで家にいないオカンが、まばたきのような時間でも、自分を見て相手を思える代えがたい瞬間。
息子が部活でも反抗期でも、見送ってあげよう。続けることに意味がある。そしてそれを見た嫁さんが、いつかベランダに現れることを願おう。