【テキスト版】第7回・オンライントークイベント

第7回の オンライントークイベントは1月15日(日)に実施。

「親子の日」の応援を長年していただいている森山賢さんが沖縄から出演。二代目社長としてのご苦労、コミュニティー活動の様子、また「親子の日」への熱い思いを語ってくださいました。

関智はMCを担当。ホストとしてブルース・オズボーンと井上佳子が参加しました。

 

関智(以下Sと表記 ) _ まずはプロフィールを簡単にご紹介いただけますか。

 

森山賢(以下Mと表記 ) _沖縄県で生まれ沖縄県で育ちました。現在は琉球補聴器という会社の代表を務めています。

 

ブルース・オズボーン((以下Bと表記 )_ 2代目なんですよね。

 

M_親父から引き継いだのが15年前になります。2人息子の長男でどっちかというとドラ息子でしたね。今は自分も父親になりまして、3人の息子と2人の娘がいます。

 

S_お父さんとのツーショットは映画の1シーンのようですね。

 

M_去年の暮れにレストランで食事をした時です。今は一緒に食事をしたりもしますけど、あまりいい関係じゃない時もありました。

 

S_お顔もほぼ相似形ですね(笑)。

 

M_父は昭和22年生まれの団塊世代で、75歳になります。本当に健康で誰の世話になることもなく第2の人生を謳歌しています。僕もそういう 75歳になりたいなって思います。

 

S_人生のお手本でもあるわけですね。ところで「補聴器」と「親子の日」はどうして出会ったのですか?

井上佳子((以下Yと表記 ) _そもそもは、デンマークに本社がある補聴器メーカーのオーティコンという会社が「親子の日」の特別協賛企業として2011年から活動の応援をしてくださっていたんです。聞こえないことで家族間のコミュニケーションがとれないのは、孤立にもつながって日常生活にも大きな弊害になります。 そのために、聞こえに問題がある人にとっては補聴器がとっても大事なものなのです。そのオーティコンが「親子の日」応援事業の一環として販売店と一緒のイベントを計画して「親子の日」を啓蒙できないかと企画してくださったんです。その代理店の一つが沖縄の琉球補聴器で、森山社長さんとの出会いのきっかけでした。

M_聞こえることで家族や親子間のコミュニケーションがスムーズにいくことでいい関係が生まれる。親子が仲良しになるために補聴器が必要だって皆さんに説明すると納得してくれるんです。

 

S_そういうことなんですね。

 

M_7月の第4日曜日が親子の日。6月の第3日曜日が父の日で、5月の第2日曜日が母の日。私たちのお店にも5月はお母さんに親孝行するために息子さんや娘さんが補聴器買いに来ることが多いですね。6月は、親父への親孝行っていうことでお客さんが来るケースも非常に多いんです。だから私は補聴器屋さんと「親子の日」はリンクするって思いますね。当時オーティコン補聴器の社長だった木下さんに「親子の日」のイベントに参加しませんかというお声かけいただいた時は、白羽の矢が立ったっていう思いでした。私の方から入れ食いするような感じでしたね。嬉しかったです。

 

Y_2000年に世界遺産に登録された識名園で第一回目の親子撮影会をしたのが2012年でした。その後も2020年のコロナ禍の前までは、沖縄での恒例イベントとして定着していたんです。

 

S_昨年の「親子の日」にはトークイベントに参加していただくために、首里城の前で待機していただいていたんでしたよね。

 

M_回線がうまいこといかないで 本当に残念でした。

 

S_ところで、先ほどリハーサルをした時に、この季節だというのに森山さんが汗をかいていてびっくりしたんですけども!今、沖縄は何度ぐらいなんですか?

 

M_ 20℃前後ぐらいあるんじゃないですかね? 窓も全開ですよ。扇風機も!(手に取って見せて) 

 

S_やばいですね。沖縄ではダウンとか着ている人いないですかね!

 

M_おしゃれで着る人はいるかもしれませんね 

 

S_ヒートテックとかは着ないんですね!

 

M_ヒートテック? 寒がりな方とかは着るかもしれませんね。でも今日はいらないですよ! 

S_沖縄では「親子」の写真展覧会とかもやられてましたね!

 

M_沖縄の博物館やショッピングモールなどで展覧会を実施しました。著名人の方も含めたたくさんの親子写真を見せていただく機会がありました。

 

S_そういえば森山さんの親子写真が、すごい大きな会場のライブで昨日紹介されたようですよ。

 

B _昨日、神奈川県の川崎にあるクラブチッタというイベント会場で、リッキーGというミュージシャンのライブがあったんです。 Life Is Wonderfulっていう曲を歌った時にステージの特大のスクリーンに親子の写真がスライド式に映し出されたんです。

 

S_素晴らしいですね! 

 

 

Y_インパクトがありました。リッキーGのファンも喜んでくれましたよ。

M_うわーすごい! ありがとうございます。

 

B_Life Is Wonderfulっていう曲は、「親子の日」の10周年記念で制作した映画「OYAKO」のエンディングでも使わせてもらった曲です。

 

S_リッキーの曲と親子写真ってあいますね。

 

Y_歌詞と写真がピッタリ!心に響きます。

 

S_森山家の親子写真が、スタジオで撮った写真とまた一味違っていいですね。風が吹いている雰囲気とか、ビビットな色合いとかも素敵ですね。

 

Y_森山家はどんな天気にも対抗できるくらいないエネルギッシュな家族なんです。

 

S_沖縄でもお子さん5人っていうのは多いんでしょうか?

 

M_今では多い方かもしれません。写真の真ん中に映っている私の義理の母は、9人兄弟でしたし、ちょっと前はね8人とか9人とか普通だったようですね。

 

Y_後ほどお子さんも紹介できると思いますけども、5人のお子さん全員が素直で可愛いんです。 

 

S_ところで、どうしてお父様の後継者として補聴器会社をついだんでしょう?そのまえに、そもそもお父さんはなぜ 補聴器会社を始めたんですか?

 

M_私の父親が補聴器を始めたのは35年前なんです。当時40代だった父は、電化製品の販売営業マンとして会社に勤めていたんですがその会社がちょっと思わしくなくなったそうなんです。

 

S_大部分の業種が減収減益に見舞われる「日本列島総不況」の頃ですね。

 

M_会社をやめなくてはならなくなった時に当時の補聴器のメーカーの方から補聴器の専門店を設立してほしいという打診を受けたんだそうです。当時の補聴器は今よりももっとマイナーで、できれば世話になりたくない商品の1つだったので最初は乗り気ではなかったと言っていました。

 

S_しぶしぶ始めた事業だったんですね?

 

M_それまでは、ディスコに置いてあるようなスピーカーとかステレオのアンプとか花のある商品を売って人生の喜びを感じていた人だったので、補聴器販売に転身するというのは非常に抵抗があったそうなんです。

 

S_音に関係してたという意味では繋がりがあったんですけどね!

 

M_当時は決して前向きではない気持ちで始めたのが本音だったようです。

 

S_それが前向きな気持ちに変わったのは何かきかっけがあったんでしょうか?

 

M_聞こえで困ってる人たちが聞こえるようになった時に心から感謝してくださることに自分のやりがいや生きがいや働きがいを感じたからだと聞いてます。

 

S_今は会社の代表として日々忙しくされている森山さんご自身ですが、思春期の頃のお父さんとの関係はどうだったんでしょうか? 

 

M_多感な時期は父親とあまりいい関係ではありませんでした。40代の頃の父親は会社を設立したばかりだったので、お金もない信用もない中で髪を振り乱しながら寸暇を惜しんで必死で駆けずり回っていました。当然、子育ては母親任せ。それが当たり前だった時代だとは思うんですけど、私としてはそれがすごく寂しかったんですね。

 

S_それで反抗的な態度をとってしまった!

 

M_悪いことした時には誰よりも厳しく叱るくせに、運動会にも来ないし授業参加にも来たためしもないっていう寂しさが言葉遣いや態度に現れ、反抗的な態度をとっていましたね。

 

S_ 寂しければ寂しいって言えばいいのに、男同士の親子ってなんか素直になりきれないですよね。

 

M_お互いに言葉足らずだったり!しかし父親というのは憧れでもありライバルとして追い越したい相手でもあります。

 

Y_ 家族で撮影スタジオまで来ても、撮影の段になると「俺は いいよ!」ってカメラの前に立とうとしないお父さんもいますね。でも無理やり「一緒に撮りましょう」って誘って撮ると、出来上がった写真に写っているお父さんは、家族の中で誰よりも一番嬉しい顔をしているんです。

 

M_写真の撮影がお父さんを家族の疎外感から解放してくれる瞬間かもしれませんね!

 

S_ お父さんの本音が出るんでしょうね。

 

M_数年前にブルースが撮ってくれた、僕が父を肩車しているツーショットの写真を父はものすごく大事にしていますよ。しかも首里城の前! 最高です。

 

S_撮影の後、お父さんを川に落としたとか? そこもブルースに撮って欲しかったですね。

 

M_30年前だったらやりかねなかったですね。今見てもいい写真ですね!

 

 

S_他にもいろんな活動をされてるとお聞きしたんですけども。 

 

M_経営者の端くれですが、「人を大切にする経営学会」の沖縄支部長をさせてもらってるんです。「人」は、一緒に働いている仲間のことで従業員のことですがその従業員が支えている家族のことでもあるんです。2番目に大切なのが仕事での取引先。3番目が琉球補聴器に毎日来てくださっているお客様ですね。4番目が地元で会社のことを見守ってくださっている人たち。5番目が株主という考え方の経営学会なんです。この考え方を沖縄で広めていくためのリーダーをさせてもらっています。 

 

S_未来の経営者には大事なことですよね。

 

M_だから親子は経営上でも外せない大事なテーマです。実は、沖縄は貧困率の高い県なのです。10代で母親になる率が全国でナンバーワン。若くして結婚するのもナンバーワン。離婚率も全国でナンバーワン。シングルマザーの比率もナンバーワン。結果として、いわゆる貧困家庭の子供さんの数が全国で一番多い県。ポジティブなニュースではないですが向き合って行きたいと思っています。

 

S_ボランティアの仲間とそんな思いを込めた書籍を出版しましたよね。

 

M_7人のサムレーがそれぞれに1冊づつ出版する方式で7冊の本を出版しました。沖縄では「サムライ」のことを「サムレー」って言うんです。私の本のタイトルは「日本中の悩みもがいている大人達へ〜何もかも中途半端 自己肯定感の超低いまんま会社を継いだ二代目の正直な頭の中〜」です。今まで本を作ったことなんかなかったんですが、電子書籍にして販売した収益を沖縄の貧困の子供たちの支援に活用してもらっています。

 

S_僕も買いましたよ! 

 

M_「子どもたちにひもじい思いをさせない/子どもたちに笑顔を届ける」という目標を掲げて活動を続けている一般社団法人タコライスラバーズに寄付をして子供たちのために使ってもらっています。

 

S_町の清掃をしているということもうかがいましたが!

 

M_仕事開始前に、会社の近くの公園や公衆トイレを社員と一緒に毎週お掃除をして地域貢献活動も心がけています。

 

S_素晴らしいですね。前回スピーカーとして出演していただいた小林弘人さんからアメリカの経営方針についての最新情報を伺ったんです。株主へのハイリターン方式という会社運営は行き詰まって、今は、社員を大事にするというのがアメリカ最先端の経営だと言っていました。

 

M_全く同感です。

 

S_琉球補聴器も最先端の運営方針ですね。かつての日本の会社運営方針にも通じますね。

 

M_私もいろんな方のアイディアを学びながら真似しているという感じです。

 

S_社員が安心して働けたら、結果として家族にとっても安心ですね。

 

M_だといいんですけれども。でも、経営っていうのは本当に何が答えなのかわからないです。もがきながらやってるという感じです。

 

S_国のトップも国民のことをそんな風に考えてくれたらいいですね。

 

M_リーダーの生き様は重要だと思います。リーダー次第ですね。

 

Y_「人」が「動く」って書いて「働く」だから、「働く」っていうのは、「ビジネス」とは同じ意味ではないって思っています。「働く」というのは、人の日常の活動というか生活そのもの。それこそ生きることそのものが「働く」だって思っています。ものを生産するだけが「働く」だったり「仕事」だったりではないという共通の思いが広がると、すべての人にとって生きやすくなると思います。

 

S_住み良い社会になっていくのには多様性を受け止めることがだいじですよね。 

 

M_ブルースが写真を撮ってる姿とか、そのそばで被写体の親子の笑顔を引き出す佳子さんたちを見ながら、お二人の働き方っていうより生き方を見たような感じがずっとしています。

 

S_ブルースはそろそろ沖縄に行きたいのではないですか?

 

B_沖縄の親子撮影会ができなくなって3年目になります。コロナ禍から早く解放されて沖縄の親子に会いたいですね。 

 

Y_また行きたいです。

 

B_沖縄の風に吹かれて屋外で撮影するのはノビノビで楽しいね。撮影会には、募集した時に申し込んだ名前の倍くらいの人数でくるのもおもしろい。

 

M_3世代で来るのは普通。4世代で来る家族もいますね。(笑)。

 

S_スタッフ全員の記念写真も素晴らしいですね。

 

M_風景もセットみたいでしょ!

 

 

S_これからは、メガネをかけるように補聴器ももっとカジュアルに使えたらいいですね。

 

M_聞こえにくいと認知症の原因にもなると言われています。聞こえないと聞こえるとでは人生の楽しみ方が全く変わってきます。聞こえるようになった人は本当に喜んでくれます。握手を求められたり、泣いて喜んでくれる方もいます。聞こえるっていうのって当たり前じゃないなっていうのを感じます。

 

S_人のためになるお仕事は素晴らしいですね。 

 

M_親父がこの事業を始めたことが僕にとって本当にラッキーだったと思います。

S_最後に、このトークライブの決まり事としてみなさんから「未来への贈り物〜Present to the Future〜」というメッセージをお聞きしてるんですが! 森山家からは家族総動員でメッセージを届けていただきました。

 

今年の年賀状用にセルフタイマーで撮った写真 

5番目の末っ子の笑和のメッセージ。笑顔の笑と平和の和でエワと読むんですが、名前の通りの子に育ってくれてます。 これからも今のままで育っていってほしいなって思います。

3番目のこの長女の名前は美空と言います。我が家では女の子が生まれたら家内が男の子が生まれたら私が名前を付けることにしてるんです。美しい空のように誰に対しても平等に向き合える子に育ってほしいという思いを込めて家内が付けました。 10歳の彼女が今願っているのは「平和」です。 僕は「平和」って書いてくれた彼女は素晴らしいと思うけれども、平和ということを意識せざるを得ない世の中にもなってしまってるなっていうことも感じますね。

 

4番目の三男です。輝勝は輝くに勝利の勝と書きます。小学校2年生ですが自由奔放な彼のキャラクターが言葉によく出ていますね。のびのびと生き生きと型にはまらないで育って欲しいです。

長男の心惟知は中学校2年生で14歳です。14歳ぐらいの頃って自分っていうのは何なのかとかどこに向かって生きていってるのか?そもそも今自分って何がしたいのか?といったことを非常に悩んでる時期じゃないかなって思いますね。自分自身もそうでしたし!彼が書いた言葉の中そんなことを感じますね。たくさん悩みながら自分なりの答えを見つけていって欲しいって思っています。

「誰かのため」に何かを考えたり「誰かのため」に何かをやっている時は自分の命が燃えてるっていうことを感じるんです。そして、「誰かのため」に何かするのは自分のため。自分がワクワクドキドキ楽しく生きたければ 「誰かのため」に生きるのが一番だって信じてます。世界中の人が「誰かのため」に発言をしたり「誰かのため」に交渉ごとをしたら戦争も起こらないんじゃないかなって思いますし、そういうことを親子で伝え合いながら生きたいですね。

世界の一番小さな単位で平和の原点は親子です。親子の人間関係がうまくいかなければ、家族の人間関係はもちろん親戚の人間関係だって地域やPTAの人間関係だって学校全体も会社も市町村も国も世界もうまくいきにくいです。まずは親のためとか子のためとか、相手の気持ちに寄り添うこと。それは即ち自分が楽しく生きられることにもなると思って「誰かのため」という言葉を「私の未来への贈り物」として書きました。

 

S_長い時間ありがとうございました。佳子さんからは何かありますか?

 

Y_ 森山さんに話してもらいたかったお話も伺えましたし、会うたびに感じる森山さんの情熱をみなさんにお伝えできたので十分です。ありがとうございました。

 

S_沖縄に行きたくなりますね。 

 

B_行きたいね! 

 

M_関さん本当ありがとうございました。是非沖縄でお会いしましょう。ブルースも佳子さんもありがとうございました。お元気で! また会いましょう!

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