今年も「親子の日」のエッセイコンテスト2018にたくさんご応募いただきました。
親子の日普及推進委員会一同、心より御礼申し上げます。
ブログでも「じんわり響くOYAKOの話」として、過去の入賞作品をご紹介してきましたが
今回からは2018年の入賞作品をご紹介していきたいと思います。
今年の傾向は、比較的年齢の若い方からの作品をご応募をいただきました。
その目線には現在の「親子」「家族」の姿や思いがしっかりと写しだされています。
ご紹介するエッセイたちが、みなさんに心地の良い何かを届けてくれることを祈っています。
「特別じゃなかった「特別」」
「お前、目ぇ腫れてない?泣いた?」
同級生の寺田が悪びれもせずに大声で言った。高校三年の冬。私たちは間も無く卒業式を迎える。
中学受験で中高一貫校に入学した私は、六年間、母にお弁当を作ってもらっていた。
二段重ねで、両の手のひらに乗っかるほどのお弁当箱。
下の段には敷き詰められた白いごはんに、梅干し一粒。
上の段は毎日違うおかず。朝ごはんにも晩ごはんにも被ることのないメニューだ。
電子レンジなんて学校にないから、毎日冷たいお弁当。それでも毎日おいしいお弁当。
しかし、思春期は、なんて残酷なのだろう。私はたまに訪れる「買い弁」を喜んでいた。
母が寝坊をしたとき、私は500円を握らされ、コンビニでパンやカロリーメイトを買った。
珍しい買い弁の日を、ワクワクして過ごした。お弁当が嫌いだったわけではないのに。
さて、私が目を腫らした高校三年の冬のある日。それは、お弁当を持つ最後の日だった。
お弁当より買い弁にワクワクしたはずの私は家を出る前、泣いた。
毎日手渡され、当たり前に手元にあった母のお弁当は、これが最後だった。
1566回分の「ありがとう」を言葉にしてこなかったことを、突然後悔した。
手渡す母も、泣いていた。
学校で包みを開いて、私はまた泣きそうになる。
特別豪華なわけじゃない。だけど、伝わる。
アスパラの肉巻きがあって、おねぎの入った卵焼きがある。私の好きなおかずオールスターなメニューだった。
十三年が過ぎた今も、あの日の心臓がキュッとつねられるような胸の痛みを忘れられずにいる。
母は今、毎日自分のためにお弁当をつくり、仕事に向かう。
彼女が定年を迎える日には、私がお弁当を作ろう。
31歳 女性 東京都品川区