6月といえばジューンブライド。
喜びの日を迎えられた方やお祝いに駆けつけた方がたくさんいらっしゃったのではないでしょうか?
親子の日に送られたエッセイから、今回は結婚式にまつわる、ほんのり温かいOYAKOのお話をご紹介。
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「おかあさんはおとうさん」
両親が離婚した日、お母さんの仕事はおとうさんになった。
わたしは小さいおかあさんになった。
母とわたしのこどもは5歳になったばっかりの私の弟。
がむしゃらに生きた。
反抗期を迎える暇なんてないくらい。
レシピ本とにらめっこしながらみんなのご飯も作った。
豆苗は水をあげていたらまた育って食べられるよ、なんて節約術もおぼえたり。
お金を稼ぐことができない学生時代は必死に勉強した。
市の中では有数の進学校。
学年一番になったときにはこっそり泣いた。
弟も大好きなサッカーで結果を残し、家にはたくさんのトロフィーでいっぱいになった。
わたしたちの運動会も文化祭もお母さんはひとりで働いた。
みんなはお母さんのところに帰っていたけどわたしは弟と2人。
なんでなんだろう。たった「3人」集まるだけなのに。
涙が出ることもあった。
弟だってそうだ。
周りはお父さんとキャッチボールやゲームをしてくれていた中、一人で壁あてをしていた。
でも、お母さんの姿を見ていたらさみしいなんて言えなかった。
お母さんはいつも笑顔で帰ってきてくれた。2人はいくつになってもはしゃいで出迎えた。
3人そろう時間が本当に幸せだった。
いや、幸せなつもりだった。でも、本当は我慢してたんだ。
本当はリレーで選ばれたところを見てほしかった。
参観日には後ろを向いてお母さんの姿を探したかった。
弟は「なんでぼくにおとうさんがいないの」とつぶやいていた。
わたしたちはわかっていた。
「さみしい」って言いたかった。
「おかえり」って言ってほしかった。
それから15年。お母さんがおとうさんを辞める日が来た。
私もおかあさんを辞める日が来た。
お母さんはお嫁さんになる。もう一度幸せになる。
私の新しいお父さんは随分おじさんだけど、本当のお父さんより優しそうだ。
弟も、認めているから、たぶん、いいひと。
だから我慢した分、私はこどもに戻る。
ばいばい、ちいさいおかあさん。
東京都 25歳 女性(親子の日 エッセイコンテスト 2017 毎日新聞社賞)