「初めてのベーグルパン」

 

次男・楓土は、産まれてから直ぐに、アレルギーをたくさん持っていることが分かりました。初めは、乳幼児脂漏性湿疹かなと思っていたのですが、口の周りや手足、首回りに赤く湿疹ができてとにかく痒がり夜鳴きの日々が続きました。

 

夫が、帰宅して直ぐに抱っこや頰づりをした時には、顔が赤くなり、体をモゾモゾとしていました。しかしその時、直ぐにはアレルギー反応とは気がつきませんでした。顔が腫れたり、泣き止まなかったりと理由が分からない日々が続きました。喘息もあり発作が起こると、深夜に救急病院に行くことは良くあることでした。

 

3歳違いの兄は、慣れたもので、夜中でもパジャマに、靴下と上着を着て、シートベルトをして「ママ行くよ!」と、頼もしく眠い目をこすりながら付き添ってくれました。

 

そして、生後3カ月くらいの時に、血液検査をしたところ、卵、小麦、大豆、ダニなど幼児にはよく見られるアレルギー反応が出ましたので、母乳に出ないようにと、私自身も食べないように気をつけていました。

 

離乳食が始める頃には、卵、米、動物性タンパク質(ささみは大丈夫でした)、小麦、大豆、ゼラチン、ぶどう、トマトなど、乳製品以外は、ほとんどの食品にアレルギー反応が出るように。成長には必要で、反応が少ない食材を食べさせるようにしていました。楓土のアレルギーで辛かったのは、長男・龍斗にも我慢をさせることも多かったことと、保育園で他の子供達と同じものが食べられないことでした。今でも、「保育園のおやつでいつも食べさせられた、とりレバーペーストが嫌い。食い飽きた」と言います。食べられる食材が少ないので、保育園では同じものが多かったのかも知れませんね。

 

兄弟で出かけたり、お友達の家に行くと、おやつを出していただくと必ず長男が、「このおやつは、何が入ってますか?」と確認をしてくれていたそうです。公園で見知らぬおばあちゃんが、おやつをくれる時も、長男が断っていたそうです。いつの間にか、兄は兄として育ち頼もしく感じました。2歳頃には、龍斗が、美味しそうに食べる「パン」を「食べたい! 食べたい!」アクションを起こすようになりました。

 

なんとか、満足できないかと米粉のパンを通販で買ったり、美味しい店があると聞けば買いに行きましたが、その当時は、米粉など流通していませんでしたし、米粉パンと行ってもお餅のようで、噛むとキュッキュとした食感でした。正直、美味しいとは思えないパンでした。当然、楓土も同じだったと思います。

 

3歳の頃、検査をしながら、少しずつ小麦製品を取りながら病院でも大丈夫と言われたある日のこと。いよいよ楓土の「夢のパンの日」が。楓土を椅子に座らせて、夫と2人で見守りながら、丸いブルーベリーベーグルを渡したところ目をまん丸にして、パクリとかぶりつき、ブルブルっと震え上がり顔を真っ赤にして足をバタバタとしてベーグルを食べ始めました。大人の言葉だと、「この世の物とは思えない美味しさ」だったのかも知れません。その時の事は、今でも鮮明に覚えています。私も夫も涙が止まらない思い出の一つです。

 

今でも、楓土は、パンが大好きで毎日でも食べたいようです。保育園の頃の将来の夢は、パン屋さんで、毎日焼きたてのパンを食べられるからね!と、帰り道で話してくれました。それからも、少しずつ身体と病院の先生と相談しながらアレルギーと戦いながら、いまでは、ほとんど困ることなく過ごしています。

 

小学生の給食では、自分だけ違うメニューだったり、持参することで嫌な思いをしていた時期もありましたが、私は楓土に「アレルギーは、楓土の個性で、足の速い子がいたり、絵が上手だったりと同じ個性で、辛い思いをしたから、人の痛みが分かる優しい子なんだよ」と、アレルギーをコンプレックスには思って欲しくは無かったので幼い息子には理解し難いともわかっていましたが、そう話をしていました。楓土は、うなずきながらも、気持ちの中では、葛藤はあったと思います。でも、楓土なりの受け止め方でプラスになっていると思っています。

 

そして、3男櫂人にも、アレルギーが!生後2カ月の時に、保育園が決まらなく仕事場に連れて行っていた頃の話です。私の大好きなカフェ・オ・レを飲んでから授乳をした後に、顔が腫れて、呼吸が荒くなり大慌てで救急病院に行きました。ステロイド点滴を受けて難を逃れました。結果、乳製品でのアナフラキシーショックと判明しました。驚いたのが、なんと!次男が唯一安心して食べられる「乳製品」と「バナナ」のアレルギーでした。櫂人の乳製品アレルギーは3歳くらいでほぼ問題なく治りましたが、バナナアレルギーは6歳くらいまで続き、食べると全身に、マジックで書いたような発疹ができました。乳製品アレルギーとは違い、呼吸困難にはならなかったので少し安心していました。バナナも少しずつ食べて慣らし、食べられることになった時には、櫂人の憧れのバナナを抱えて離しませんでした。でも急にたくさん食べるのは危険なので日々、少しずつ慣らしました。ある日、今までの復讐とばかりに一気に4本食べたのには驚きました。子供ながらに抑えきれない気持ちがあったんでしょうね。子供達の成長や葛藤を見ていると、生まれた時から「一人前」なんだなぁと思う、思い出です。

島田まき

 

「食を通じて幸せを」をコンセプトにした料理研究家の主宰する家庭料理教室 Makicooking Studio

公式ホームページ    http://makicookingstudio.com

 

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