「パラサイト 半地下の家族」が2020年のアカデミー作品賞を受賞した。監督賞もだ。
40年近くアカデミー賞をウォッチしてきた身からすると、まさに奇跡とも呼べる快挙だ。
なにしろ92年のアジア映画、どころか外国語で上映された作品で「作品賞」を取った作品はなかったのだ。潮目が変わった、と決算報告で言ったのは孫正義だが、ハリウッドでもしかりだ。
たしかに2003年の「オールドボーイ」以降、人間を描く力、リアリティ、物語性などの質の高さには注目していたが、その韓国ニューウエイブの中心人物ポン・ジュノがハリウッドでも高い評価を獲得したことを喜びたい。今後は全米未公開だった名作・韓国映画が次々に公開されることだろう。
じつは、今回書きたかったことはこの事ではない。
貧困をテーマにした作品についてだ。映画では大昔から「貧困」は描かれている。例えば戦後不況はイタリアン・ネオレアリズモの傑作を生んだ。
しかし今回選んだ作品群、「フロリダ・プロジェクト」「万引き家族」「パラサイト」は明らかにその時代に描かれたものと違う。それは貧困のみならず、格差=貧富の差が描かれている点だ。
まさに光と影。そしてその格差が年々激しくなっているように感じられる。簡単に言えば新自由主義に行き着く果て、といったところだがこの状況が文学ではなく、映像として昇華されている点が興味深い。
「フロリダ・プロジェクト」ではフロリダディズニーランド近隣のモーテルで暮らす人々を子供達の目線で捉え、悲惨な現状をファンタジー的空間として描いた。しかし大人目線で見えるのは、賃貸の物件を借りることができずに、モーテルを週単位で借りざるおえない悲惨な状況だ。
ディズニー行楽客を見込んで作られたであろうパステルカラーのモーテル群だが、ディズニー客はそんなプアなモーテルには止まらず素通りしていく。そこに泊まるのは最下層の人々だ。まさに光と影。みごとに格差が視覚化されている。
同様に「パラサイト」も丘の上、半地下そして地下と格差をとても見事に視覚化している。
そしてさらに感じたのは、どの作品も家族の存在もテーマになっているということだ。「万引き家族」はタイトルにもろ家族が入ってるし。
そして家族は共闘して外部の貧困と対峙する。
けっして貧困を生んだ原因である親を責める事なく、親を支え家族として結託している。
それは「フロリダ・プロジェクト」しかり「パラサイト」しかりである。
それはまるで、アメリカ国旗の下、イラン・フセインを倒すために一体化したアメリカ人の姿のように、外敵を倒すためなら一体化するのである。
つまり「パラサイト」の貧困は身から出た錆ではなく、あくまでも外部から急襲した「悪」なのである。その構図だからエンターテイメントとしても成立できたのだろう。
そして、貧困の根本、その先にある社会のシステムに目をむけて、少しでもアクションできたら、もしかして世界は変わるかも、と映画は示唆してくれている。